すいみんぶそく

このところ、とんさんが寝るのは25時前後。(さらに寝たあと1時間以内に高確率で1度泣いて起きる)

 

先週もそうだったが、週も半ばを過ぎると、次第に睡眠不足が積み重なり、疲労が蓄積してくる。

(つまりは日中の原稿の進みが極めて遅くなる。集中力が著しく下がる)

 

今日は昼のミルクを終えて、自分も食事をしたあと、力尽きてとんさんの隣で寝ていた。

気付いたときには、ひーさんが5時間授業を終えて帰ってきた。

「あれっ、さっき行ったばかりなのにもう帰ってきたの?」というのが正直な感想。

6時間も経ったなんて信じられない……。5行しか書けてないとか、軽く絶望である。

 

昨日、予防接種のために病院に行って思ったこと。

平日日中の小児科、やはり父の姿は少ない。昨日あの時間、あの場所に関しては、自分ひとりしかいなかった。

 

いろいろと、思い出してみよう。

9年前、ツマが第1子あーさんを妊娠中に、初めて参加した両親学級

父親の姿は数人程度だったと記憶している。(最近はもっと多い気がする)

 

保育園時代、朝は父親の姿が比較的多かった。夕方のお迎えは、8割くらいが母親で、父の姿は少なかった。

 

小学校に入ると、入学式や運動会などのイベントでは父の姿は多い。「おやじの会」なんてのも組織され活動している。

けれど、入学説明会、学級・学年懇談会となると、父の姿はぐっと減る。学級懇談会は3回ほど参加したが、父親と会ったことはない。

父親が少ないものは、どれも平日日中のイベントである。(じゃあ土日にやればいいというものでもないだろう)

仕事を休めない? そもそも父親が参加することを想定していない? どちらが先かはともかく、今の状況がこうである以上、そこから外れる行動を取ってみると、見えないものが見えてくる。変わらないと思っていたものが変わり始める。これは確かである。

 

解決編ではない。考えてみることに意味があるのだと思う。

考えていると、時折行動が伴うことがある。そうすると僅かだが何かが変わる。

考えなければ、なかなか行動まで行き着かない。行動なくして、物事はなかなか変わらない。

これもきっと、確かだろうと思う。

 

平日の真昼間にとんさんをエルゴでぶら下げて道を歩きながら、建築現場で休憩中の男性たちにじろじろ見られながら、ぼんやり考えた。

 

<おまけ>

 

ひーさん、外で時折、保育園時代の友だち(別々の小学校に進学)と会うらしい。

今日もその子と会った、と教えてくれた。

 

父「あいさつした?」

ひ「うん。『おはよう』って言ったよ」

父「そっか。じゃあ朝、会ったのね」

ひ「いや、帰りだよ。さっき会ったの」

父「?」

ひ「……あ、ちがった。『おはよう』じゃなくて、『よう』って言ったんだった」

 

「おはよう」と「よう」って、間違えるものだったんですね。

 

(所要時間:約35分)